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アトリエ訪問記2

8月の猛暑日、伊奈町にある新構造社委員の伊藤英治先生のアトリエを訪問しました。伊藤絵画教室の看板がかかった1階は絵画教室と現代美術家の奥様のアトリエです。敷石を踏んで裏手に回り階段を上った2階が伊藤先生のアトリエです。階段にはオブジェのように荒川の河原の石が一段ごとに置いてありました。きつい陽射しとは対照的に冷房の効いた室内でお話を伺いました。












 イーゼルには◯△□をモチーフにした抽象画の作品が掛かっています。足元にもご自宅で描きアトリエで仕上げを待つ作品が何枚も重ねて置かれています。並べられた箱入りの大きなチューブの油絵具やたくさんの絵筆が画家の仕事場を物語ります。













 伊藤先生は故多比羅栄一先生の勧めで1983年に新構造展に初出品されました。以来、毎回発表されてきた作品のモチーフやスタイルには幾つかの変遷があります。ヨーロッパの街角の風景、縄文土器や外国の仮面に着想を得て構想した作品、空き缶をコラージュした作品、リアルに災害を描いた絵、そして最近の抽象画などです。なかでも第86回新構造展で外務大臣賞を受賞した「破壊の形」は2001年から描かれた現代の歴史画とも言える災害の絵シリーズの集大成です。

 伊藤先生は静岡県浜松市に生まれ武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)に進みましたが学ぶものなしと中退し、その後、東映動画でアニメーションの背景画制作に関わり美術監督や岡山理科大学附属美術専門学校・東映アニメーション研究所の講師などを務めました。若い頃から個展やグループ展、アンデパンダン展などで活躍し、前衛美術家・赤瀬川原平の路上観察学会にも参加され活動しました。新構造社では1991年に会員に推挙されました。その後の活躍は皆さんご存知の通りです。










 

  2000年・ミレニアム・世紀末を意識した頃に、ふと道端で見つけたつぶれた空き缶の形に興味を持ちコラージュした作品を制作するようになりました。地球規模の温暖化や環境破壊、泥沼の民族紛争、戦争の犠牲者や難民などまさに世界は文字通り世紀末の様相でした。

 東映を定年退社され」本格的に作家活動に入った伊藤先生はヨーロッパやアメリカへ取材旅行され911のテロ事件のちょうど2年前に世界貿易センタービルも訪れたそうです。

 2001年9月11日、ニューヨークで航空機乗っ取りによるテロが起き世界貿易センタービルが破壊されたくさんの人が命を落としました。崩れ落ちていく貿易センタービルの映像をテレビの画面で見て、その馬鹿げた行為に心の底から憤りとやり場のない怒りを覚えました。平穏な日常が突然破壊され何千人ものごく普通の人が亡くなりました。もしかすると自分だったかもしれません。日常が理不尽な力で崩れ去っていくことへの予測できない不安と憤りをその思いを絵にしました。しかし日常を奪う理不尽はその後も続きます。

3.11東北大震災と津波・原発事故、熊本地震、福知山線脱線事故、その度にキャンバスにどうしようもない怒りと居ても立ってもいられない自分の気持ちをぶつけ社会性を持たせた作品を描いて来ました。そして150号の大作2点が東京国立市の美術館・宇フォーラムに所蔵されています。伊藤先生の絵は大上段に物事を断じたり怒りをぶつけたりすることはありません。寡黙に普通の人の目で物事を捉え真実から目をそらさず直視するよう見る者の感性に迫ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近は津波を主題から発展した◯△□をモチーフにして抽象画を発表されています。流れゆくもの、流転するものを◯△□の形にとどめ全ての喜怒哀楽を表しています。ところで◯△□は初期の作品から続いているモチーフだそうです。

  アニメーションの仕事をされていた時から現在までアイデアや構想を書き留めたメモがきちんとノートに整理されいつでも活用できるようにされています。

 最後にどうしても見てもらいたい作品があると写真を見せていただきました。初めて描いた大作「障害物」の脇に立つ19歳の伊藤先生です。高校の先輩で前衛画家の中村宏の影響を受けこの頃からどこか社会性を宿している作風に思えます。














 

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アトリエ訪問記1

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 第1回のアトリエ訪問を埼玉支部長 古川泰司先生にお願いしたところ快く受けていただきました。

先生のご自宅兼アトリエは川越市の閑静な住宅街にあります。近くには江戸時代から明治まで新河岸川の舟運で栄えた仙波河岸が史跡公園として保存されています。訪問させていただいた日は近くの池にカモの親子やヨシゴイなどの水鳥が遊ぶのどかな日でした。アトリエはご自宅の日当たりのよい2階にあります。ちょうど水彩画の作品の整理をしておられ海外取材で描いた水彩画が床一面に並べられていました。一枚一枚全て現地で描かれた作品で現場の風景や人々との交流を昨日のことのように語っていただけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先生は長野県安曇野の出身で小学生の時から絵を描くことが大好きな少年だったそうです。高校では松本の女学校で草間彌生を見いだした日比野霞径先生と出会いました。美術の道に進むことを決心し日大芸術学部に進み卒業制作では野口彌太郎先生の指導を受けました。卒業後は埼玉県川越市内の中学校で美術教育に尽される共に二科会の斎藤三郎先生に師事され研鑽を積まれました。その後教職を退かれ画家として現在まで活躍されています。新構造社では法人化後初代の理事長を務められました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アトリエの半分は油絵の制作スペースで小品と大作を分けて描かれています。訪問したときはアイヌの祭をモチーフに30号の作品に取り組まれていました。大作のイーゼルには未発表の制作途中の祭の作品が掛かっていました。

先生は画壇の芥川賞とも言われた安井賞展に新構造社の推薦を受け新構造社では最多の5回の入選を果たされています。安井賞は具象絵画のコンクールですが従来の風景画や人物画などでは勝負ができません。題材に悩みたまたま飛騨を訪れた時に祭の屋台巡行で屋台の露払いとして踊る人々の姿に感動しその姿を画面に力強く構成しました。その後、祭の取材は国内ばかりか海外にも足を運び長年にわたって祭のシリーズの制作に取り組まれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先生の当面の目標はご自分の画集を作ることだそうです。アトリエには安井賞展に出品した大作をはじめ数多くの作品が収蔵されています。どの作品を画集に載せるか慎重に選んでいるそうです。もちろん先生の手を離れ様々なところに飾られている数多くの作品もあるのでどの作品が画集に載るか楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先生の作品を拝見し制作の話を伺っていると楽しい時間は瞬く間に過ぎてしましました。海外でのエピソードや交流のあった画家とのお話などまだまだお聞きしたいことはあったのですが時間の都合で古川先生のアトリエ訪問を終わりにしました。

 さて次回の訪問はあなたかも知れません!

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