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   第62回埼玉展開催に当たって

            一般社団法人 新構造社埼玉支部長 神保雅春

 

 古川泰司新構造社特別顧問・埼玉支部長の逝去を受け力不足ではありますが埼玉支部長の大役を引き継ぐことになりました。6月の新構造社第5回理事会で承認を受け正式に就任することになりました。

 おりしも第62回埼玉展開催準備の最中であり滞りなく進めて行きたいと思います。

 なお、今年で埼玉展は62回を迎えます。これも一重に会員の皆様のご支援ご協力の賜物と感謝いたします。

 また今回も埼玉県教育委員会のご理解とご支援をいただき埼玉芸術文化祭に参加いたします。埼玉支部として本県の芸術文化発展に寄与するとともに支部の一層の充実発展を期待いたします。

 

         新構造社埼玉支部の歴史

 昭和35年、運営委員多比羅栄一先生のお声掛けにより、川田恒之輔、武藤弘之、黒川五朗、古川泰司各会員がこれに応じ、支部地区在住者4名により親睦と絵画の研鑽を目的として川越支部を結成しました。

 第1回の川越支部展は、川越市立図書館のギャラリーで開催、その後第2回、3回展と開催し、特に第3回展ではメンバーも14名に増えました。

 埼玉支部結成の機運も高まり昭和37年夏、川越の旧丸広百貨店で「梅」の多比羅栄一、「島と海」の楠本繁、穏やかな人柄の杉戸の新井時厚、岩槻の松井正吉、坂戸地区の指導者武藤弘之、支部長の片腕的存在の川田恒之輔(日本画・洋画も見事な写実表現)、バラの画家村岡清、半具象の黒川五朗、「岸壁百号」の古川泰司の各会員19名、本部からの招待出品者に本目勇市、何徳来、徳山巍、清浦正風の各先生方を加えて盛大に第1回新構造埼玉展を開催することが出来ました。以来歳月を重ね埼玉県立近代美術館を開館当初から利用を続けてまいりました。 ​

  新構造社の歴史

 

   新構造社は彫刻家斉藤素巌、日名子実三の両人により大正15年に結成された構造社を母体として昭和11年に創立されました。

 母体となった構造社の第1回展は昭和2年東京府美術館にて開催され、翌年絵画部が設立されその毎年展覧会を開催しましたが昭和10年斉藤氏が帝展の会員に任命されると絵画部は在野の立場を貫き三村英一氏を代表として独立し、東京府美術館で展覧会を開催し、昭和11年寺畑助乃丞の率いる17会(彫刻部門17が合流し、後に工芸部を新設して新構造社となりました。以後、戦争で中断した時期を除き毎年東京都美術館において美術展覧会を開催してきました。

 

 新構造社の目的は

 1 美術上の研究並びにその作品発表をもって目的とする

 2 純粋なる在野精神を基調とし、作者の自己完成を図ることに重きをおく

    以上の2点です。

 

 そして「各自の自由な立場をもって芸術探求を行い、イズムに制約されない、作者の人格を尊重する」を会員の姿勢と理念とし現在まで脈々と受け継がれています。

 

 平成24年に「一般社団法人 新構造社」に組織変更し古川泰司氏が初代理事長に就任しました。

 平成27年6月に中谷時男理事長が就任しました。

 

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